日産自動車の会長カルロス・ゴーン氏が、自らの報酬を過少報告したとして、金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)の疑いで逮捕されました。
カルロス・ゴーン氏といえば、当時経営危機に陥っていた日産を見事に立て直した手腕で知られ、他にも三菱自動車工業やルノーなど、名だたる企業で会長や役員職を務めている世界的な経営者です。
今回はそんなカルロスゴーン氏について、何人なのか?国籍や出身地、生い立ちなどを調べてみたいと思います!
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カルロス・ゴーンは何人?国籍や出身地!
カルロス・ゴーン氏が何人かについては、厳密には明らかになっていません。
父親はレバノン系ブラジル人、母親はレバノン系フランス人ですが、カルロスゴーン氏ご本人はブラジル・フランス・レバノンの多重国籍を持っています。
複数の国籍を持っているため「何人か?」という定義は非常に曖昧です。
ご両親はレバノン系のなので、ゴーン氏も大元の民族的には一応レバノン人ということになるのでしょうか?
出身地に関してですが、生まれはブラジルのポルト・ヴェーリョ。
その後リオデジャネイロやレバノンのベイルートなどを経て、フランスの学校を卒業しています。
このようにレバノン系のブラジル・フランスの血を継ぎ、ブラジル・レバノン・フランスそれぞれで育っているので、ゴーン氏本人の意識やアイデンティティがどの国にあるかは分かりませんね。
カルロスゴーンの生い立ち
続いてカルロス・ゴーン氏の生い立ちについて詳しくご紹介します。
ゴーン氏は1954年3月9日にブラジル、ポルト・ヴェーリョで誕生。
その後2歳くらいの時、リオ・デ・ジャネイロに移住します。理由はゴーン氏が不衛生な水を摂取し病気になったためでした。
当時のブラジルはまだ今ほど衛生面などインフラが整っていなかったのかもしれません。
リオ・デ・ジャネイロは世界有数の巨大都市ですので、当時から医療技術や衛生面は国内でトップクラスだったのでしょう。
その後6歳の時に祖父の母国であるレバノン・ベイルートに移住し中等教育を受けます。
以降はフランスのプレップスクール(名門大学への進学準備を目指す教育機関)で学び、1974年にはフランスの高等教育機関の代表格であるエコール・ポリテクニークを卒業し、1978年にパリ国立高等鉱業学校で工学博士を取得し卒業します。
大学卒業後の1978年には欧州最大のタイヤメーカー、ミシュランに入社します。
会社新時代から優秀な手腕を発揮し、工場長や産業用タイヤの研究開発責任者を歴任。
1985年には南米ミシュランの最高執行責任者(COO)に任命、入社からわずか7年でCOOまでの登りつめるという偉業を達成しました。
このCOO時代にコスト管理や、自身と同じ多国籍を持つ従業員の最良な業務形態の形成など、今の日産の経営にも通じるゴーン氏独自の経営スタイルや基盤を作り上げました。
その後、
- 1989年:ミシュランの北米事業部の社長兼(COO)
- 1990年:ミシュランの北米の最高経営責任者(CEO)
- 1996年:ルノーの上席副社長にヘッドハンティング
- 1999年:ルノーと日産の資本提携に伴い、日産の最高執行責任者(COO)に就任。
- 2016年:三菱自動車工業に就任。(日産が三菱自動車工業を買収)
など数々の輝かしい経歴を残しました。
日産の会長就任後の見事な経営手腕が有名ですが、会社員時代から飛びぬけた能力を持っていたようです。
まとめ
カルロスゴーン氏について、何人なのか?国籍や出身地、生い立ちなどをご紹介しました!
何人か、や国籍は非常に複雑なようでした。
幼少期の病気のエピソードなどを見ると、当時はあまり裕福でなかったのかもしれませんし、身体もあまり強くなかったのでしょうか。
幼少期の逆境があったからこそ、ここまで登り詰めたのかもしれませんね。
今回の逮捕は衝撃的でしたが経営者としての能力は一流ですので、出所後もまた何かしらの形で復帰してほしいですね。
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