サッカー日本代表の本田圭佑選手。
普段はスペインの名門CFパチューカで活躍し、代表選ではしっかりとアシストや得点を挙げている日本を代表する名サッカー選手ですね!
ですがその経歴は決して順風満帆ではありませんでした。
今回本田圭佑選手の学生時代やこれまでの経歴について調べてみたところ、挫折や努力がありつつも、本田選手らしいエピソードが垣間見えるものでした。
目次
本田圭佑の学生時代!
本田圭佑選手は大阪府摂津市出身。
サッカーを始めたのは小学2年時からで、当時は地元の摂津FCというというところに所属していました。
中学進学後はガンバ大阪ジュニアユースに所属しサッカーに励んでいましたが、当時は後に日本代表にも選ばれる家長昭博選手、安田理大選手、東口順昭選手などそうそうたる顔ぶれが並んでいて、本田選手はあまり注目されていませんでした。
当時のコーチも『圭佑が来た時のことは、あまり印象に残っていない』と後に語っており、本田圭佑選手は少なくともガンバ大阪ジュニアユース時代は凡庸な選手だったことは間違いないようです。
当時の本田選手はチームのムードメーカーでパスもドリブルも標準以上、ミニゲームではテクニックも十分に発揮していたそうですが、
一方フルコートでの試合になると体力面や持久力、スピードに難があり、途端にパフォーマンスが落ちていたのだとか。
この体力面とスピード面に関しては当時明らかに他の選手より劣っていたらしく、最終学年を迎えても改善されることはなく、最後まで準レギュラーという立ち位置のままでした。
結果ユースチームへの昇格内定が出ることはなく、石川県の星稜高校へ進学することとなります。
星稜高校といえばサッカーの名門校で知られていますが、同期の選手が順調にサッカー選手として着実にキャリアを積んでいく中、名門とはいえ部活でのサッカーを余儀なくされた本田選手。
現在では一流選手として結果を出していますが、中学時代は大きな挫折を経験していたようですね。
ですが本田選手は名門・星稜高校でもしっかりと実績を残していきます。
1年時には高円宮杯全日本ユース選手権で準優勝、3年時にはキャプテンに任命され第83回全国高等学校サッカー選手権大会に出場し、石川県勢として初のベスト4進出という輝かしい功績を残しましした。
2004年には特別指定選手制度で選ばれ、名古屋グランパスの練習に参加しナビスコカップでのジュビロ磐田戦で公式戦初出場を飾ります。
また高校在学中現在の奥さんである美沙子さんと出会っていますので、ある意味高校進学という選択肢は本田選手にとって必要なものだったのかもしれませんね。
本田選手と奥さんの美沙子さんの馴れ初めなどについては別記事でまとめていますのでご覧ください⇒本田圭佑と嫁の馴れ初めは?金沢西高校の卒アルは本物?子供はいる?
本田圭佑の経歴は?
高校卒業後は複数のJリーグクラブが獲得に乗り出すまでになり、最終的には名古屋グランパスでプロ契約を結び、少しずつ活躍を広げ2年目にはレギュラーの座を勝ち取りました。
2008年にはVVVフェンローへ移籍、リーグ戦36試合に出場し16ゴール13アシストという好成績を収め年間最優秀選手賞(MVP)を受賞しています。
その後2010年にCSKAモスクワ、2013年にACミランといった名門クラブを渡り歩き、怪我やスランプに悩まされた時期もありましたが、しっかりとアシスト含め得点を挙げる活躍を続けます。
2017年7月にはメキシコ最古参の名門リーグCFパチューカに移籍し、8月のベラクルス戦で初得点、コパMX決勝トーナメント1回戦のサカテペク戦では1試合2得点、コパMX準々決勝のティフアナ戦ではハーフライン手前から4人抜きのゴールを決めるなど、大活躍をしています。
以降の試合でもしっかりと自身でのゴールも含め、適切なアシストなど得点に絡む仕事を続けています。
日本代表としては2005年のFIFAワールドユース選手権・オランダ大会にU-20日本代表として招集され2008年、2010 FIFAワールドカップのアジア3次予選でフル代表デビューし、以後代表選手としての地位を確立しています。
学生時代は凡庸な選手と言われ続けた本田選手ですが、決してあきらめることなく愚直に努力を続けた結果、世界の第一線で活躍する選手まで上り詰めました。
実際、並大抵の努力ではないと思います。
普段のビッグマウスや言動などから誤解されがちですが、本田選手は決して才能に恵まれたわけではなく、努力の人だったようですね。
近年ではバセドウ病疑惑など出ていますが、不屈の精神で今でも努力を続ける本田選手をこれからも応援したいですね。
本田圭佑選手のバセドウ病疑惑についてはこちらの記事でまとめていますので、よかったらご覧ください⇒本田圭佑はバセドウ病 ?目がおかしいと話題!症状は?発表はある?
本田圭佑の学生時代の伝説エピソード!
そんな苦労の学生時代を過ごしていた本田圭佑選手ですが、実に本田選手らしいエピソードも多数見つかりました。
上下関係はいらない
スポーツの世界といえば上下関係は絶対ですよね。
ましてや高校の部活なんかだと1年は問答無用で球拾い、買い出しみたいなケースも少なくないはずです。
それは本田圭佑選手が入学した星稜高校でも類にもれず、非常に上下関係を重んじた部活だったようです。
ですが本田圭佑選手は、入学間もない1年生時に上級生に対しこんな一言を言い放ったそうです。
「上下関係なんていらへんな」
なんて生意気な1年でしょう(笑)
ですが実際本田選手は1年時からレギュラーで活躍し、その後星稜高校サッカー部では本当に上下関係がなくなったそうです。
圧倒的実力でこれまでの風潮や仕来りをねじ伏せるという、凡人には絶対まねできないカリスマ性あふれるエピソードです。
本田選手の1学年上に元日本代表にも選ばれた豊田陽平選手という方がいましたが、本田選手は豊田選手のことを『おい、豊』と呼び、豊田選手は本田選手を『本田くん』と呼んでいたそうです(笑)
高校時代の1学年って結構大きいですよね。
普通はどう考えても逆だと思いますが、上下関係がいらない本田選手からしたら関係なかったようです。
ですが決して失礼なわけではなく年齢関係なく1選手として対等に見ていた証拠ですね。
実際本田選手も後輩に対し対応に接するように言っていたそうなのですが、そのカリスマ性や圧倒的な実力故か、結局後輩からは『本田さん』『「圭佑さん』と呼ばれていたそうです。
『世界一のサッカー選手になる』事を小学生の時から決めている
また小学生時代の話にはなるのですが、卒業文集に『世界一のサッカー選手になる』と書いていたそうです。
もちろん、将来の夢は『サッカー選手』や『野球選手』『モデル』など書く子はたくさんいると思います。
ですが『世界一』というワードが入っているあたり、非常に本田選手らしいですよね。
しかもそれを実現しているところが素晴らしいです。
もちろん世界一の選手かというと色んな意見があると思いますが、現在本田選手は世界のトップクラブで活躍している、まぎれもない一流選手です。
しかも当時は決して非凡な選手ではなかったにも関わらず、目標をしっかり定めてそれに向かい努力を続けた結果、最終的に夢を叶えているのは、本当にすごいですよね!
同じスポーツ選手でいうと、野球のイチロー選手なども小学校の卒業文集にプロ野球選手になる事、それに必要な練習を事細かく記載していたようです。
やはり世界で活躍する選手は幼いころから目標設定や行動設定が定まっているようですね。
ただ定めるだけでなくそれをやり続けるところが一流の一流たる所以なのでしょう。
対戦相手チームのマネージャーを口説く
先の項目でも触れましたが、本田選手が現在の奥さんである美沙子さんと出会ったのは高校在学中です。
しかもその馴れ初めは、
- 練習試合の相手チームのマネージャーに一目ぼれをし、
- 相手チームをボコボコに叩きのめした上、
- 試合終了直後に相手チームベンチに行き告白する
という、常人には不可能な手段でした(笑)
負けることなど考えていなかったのでしょう。
ですがそれを平然とやってのける本田選手。
そこにシビれるあこがれるですね。
この情熱的なアプローチには、美沙子さんも『はい』というしかなかったとか。
ですが本田選手のこの想いはして一時的なものではなく、長い交際期間を経て22歳の時にはご結婚され現在では三人のお子さんに恵まれています。
本田選手の男らしさが伝わるエピソードですね。
本田選手と奥さんの美沙子さんの馴れ初めなどについては別記事でまとめていますのでご覧ください⇒本田圭佑と嫁の馴れ初めは?金沢西高校の卒アルは本物?子供はいる?
まとめ
以上、本田圭佑選手の学生時代やこれまでの経歴、伝説的なエピソードなどまとめてみました!
本田選手は決して才能あふれる選手ではなく、地道に努力を続けてきたが故の現在の活躍でした。
ですが学生時代から人並外れた度胸や行動力を持っていたのも間違いないようです。
上下関係や奥さんとの馴れ初めなど、おそらくプレッシャーもなかったわけではないでしょうが、それを実現させるだけの努力をした結果ですね。
まさに努力の天才といえる人なのではないでしょうか。
最近では不調や不要論などが騒がれていますが、これからの持ち前の闘志と努力で活躍を続けてほしいものですね!
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